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あれはなんだ かたちは無く

2015/05/24 最近印象的だったことたち

ども。すっかりさぼり癖が付いてしまったようです。

他にたくさんはまっていることがあるとさっぱり忘れてしまう。

後から振り返るために記録しているのに意味がないじゃないか!

と思いつつ、どーしても重要なときはこうして出てくるだけいい、のかな。

 

さて

相変わらず自由を愛したり、いろんなことを考えたり、遊んだりして楽しく過ごしている。笑っていることの方が多くて、このブログを始めた頃からはずいぶん変わったものである。心境の変化もあったし、自分が心から望む姿に近づいているようにも思う。そのことが何よりも嬉しい。

 

 

以下特に印象的なことのメモ。気が向いたら後のために説明を加えるかもしれないし、加えないかもしれない。

  

・3月中旬?下旬?

人生で最も大きな心境の変化の1つがあった。愛についての認識が変わった。

以前このブログのエントリにも書いたが、愛やその告白は自己愛でしかないのだと思っていた。しかし、それにより相手が幸せを感じるならばむしろ他者愛になるのだ、と思うようになった。

もちろん、本人が安心したいことが理由ならばやっぱりエゴでしかないけどね。そうではなくて、責任をもつ覚悟を負い、それを伝えることは、誰かの救いになるのかもしれないと…そう思えたんだ。

 

・というのは今年に入って大切な人ができたから。といっても恋愛とかではない、あいかわらずよく分からないし。けれども、決して束縛せずただお互いに信じ合う、心がつながった感じで、親友以上のもののように感じる。その人を守りたいと、ここまで決意したのは多分初めて。そんな存在に出会えてよかった。

 

・ごく最近

以前から、というより知り合った時点から感性が近いなぁと感じる友達がいた。機会あって直接話してみると、考え方や境遇がぴったりはまっていて本当に驚いた。考え方というにはもっと大きな、多分魂の形が同じなのだと思う。ふつう似ていると飽きてくるものだが、そうではなくて、どこまでも心地よくてむしろもっと知りたいと思えてくる。そう感じられたのも初めてで、やはり出会いに感謝している。

 

発達障害、さらに複雑化

何度も書いている通り、私はアスペルガーADHDだ。これまでは、どちらかというとアスペルガーの方が優位だったり、両方が交互に現れたりしているようだった。

ふと気づいてみると、事態はさらに複雑化しているように思える。まず、たぶん最近はADHDの方が優位である(いや、もっと記憶をたどれば、もともと日常ではADHDが司る時間のほうが長かったかもしれない)。そして、交互に現れている…もっというと"過度の散漫状態が基本で、何かの拍子にスイッチが入ると過度の集中力を発揮する"ことの繰り返しは変わらないが、それらに加え、"過度の散漫状態と過度の集中力を同時に発揮している"状態が増えてしかもその比重が多めなのだ。

そんな同時には無理だろう、と自分でも思うのだが実際そうなのである。1つ1つの散漫に集中しているのとも違う。常に注意力があらゆる方向に向かって飛ばせながら、それらを少しの共通点で1つに収束させてその部分に集中している…というのが近いだろうか。たぶん、コミュニケーションを取りながら集中する場面が増えたことによりこうなった気がする。

自分では単純に「ああ面白いなぁ、これもまた有効活用して付き合っていこう」という気持ちである。それは今後も変わらないが、どうやらこの状態はかなり脳を動かし気力も体力も使うようだ。だから、あまりしょっちゅうこの状態になることは避けたほうがよいかもしれない…そうできるかどうかは別として。

 

・ふしぎなこと

と、(今は気力が続かないから)ごく重要なことだけ書いてみた。

ここで、このエントリを読むかもしれない未来の自分に強調したいのは、今年に入って、人生が大きく変わり始めている気がする、ということだ。

もはや変わらないだろうと思っていた心境が浄化にも近い形で変化してそのこと自体に自分自身救われたこと。守りたいと思う人・再会としか思えない人と知り合えたこと。実際の環境や行動もどんどん変わってきていること。

今年は、忘れられない年になるのだろう。

2014/03/06~03/07深夜に起こった不思議な出来事

ひとつ前の記事に書いたように、ここを空けていることを分かっていたから、大事なことをいずれ書こうと長らくメモをとっている。にも関わらず、気が向かなかったり時間が本当になかったりして書いていなかった。そんな状況で、また来るような状況――つまり、これはぜったいにすぐ記録しなければならない、という心境になった最大のきっかけがこの出来事である。

起きて家族に話そうと思ったまま忘れていたが、03/07の夜にある話がきっかけで一気に思い出した。そして、この出来事を家族も体験していたことを知った。また、話しながら思い出したこともある(それは下に区別して記録する)。

もちろんいつも通りここに記録するのは、自分にとって大事なことで、未来の自分に忘れてほしくないからという以外の目的は全くない。

 

それは2014/03/06(金)から2014/03/07(土)の明け方近くに起こった。自分はいつものように夜更かしをして2時近くまで起きていたが、こじらせている気管支炎をちゃんと治そうと眠りについた。ふと4時頃(正確な時刻は覚えていない)に目が覚め、なんとなく眠れなかったので頭から布団をかぶったまま横になっていた。いつもの癖で、身体の左側を下に向けていた。

(これは、話しながら思い出したことのひとつだが、)そのとき、布団越しに人が近づいてくる感覚がした。非常にゆっくりと踏みしめるように、リビングから寝室へと向かっている。嫌な感じとかはまったくなく、ああ誰か来たなというものだった。自分は家で家族と布団や毛布を共有していて、時間になると早起きの家族が自分に先に使っていた布団を掛けにきてくれる習慣があるのだ。だから、誰かがきても不思議ではないし、いつも通りのことだと思っていた。

やっぱり眠れなくて布団をかぶったまま横になっていると、背後から高い声で話しかけられた。年齢の高い少女か、年齢の低い少年かはわからないが、おそらくは10代のこどもか多くても20代前半だと思う。環境音ではぜったいになく、どう聞いても声だった。残念ながら会話としてはちゃんと聞き取れず、ところどころ子音や母音が聞こえるという程度だった。だが言葉には意思が宿る。だから、私は、それが私に向けられたもの、冒頭でおそらく「○○○ちゃん(私の名前)」と呼ばれたことを確信していた。びっくりして手元のスマフォを見たから覚えているが、04:30だった。

(これも話しながら思い出したことで、)しばらくすると雰囲気が突然消えた。びっくりしてその方向を見たが、もちろん何も見えなかった。しばらくすると、さっきよりは低めの声、というよりせきこむような声が聞こえた。家族が風邪をひいているから、具合が悪くなったのかもしれないと思って慌てて布団を飛び出し、「具合が悪いの?大丈夫?」と尋ねに行った。家族はやっぱりいつも通り起きていて、大丈夫だよと答えた。私は安心して寝室に戻った。04:30に聴こえた声はいったいなんだったのだろう?私は幻聴も共感覚もあるから、きっとその類だろう…と考えた。ほどなくして再び眠りに落ちた。

 

さて、起きてから家族に話したところ(厳密にはきっかけのひとつとなった会話があったのだが、それは自分にはわかっているし、プライベートかつデリケートすぎる内容なのでさすがに書かない)、驚くことに家族も同様の体験をしていたことがわかった。寝ている方向と声が聞こえた方向も、内容も声質もまったく同じなのだ。こわい…といっても恐ろしいわけではなく、ただただ2人して驚いていた。

そして話しているうちに再確認したのは(これは分けて書きたかったので上ではあえて記録しなかった)、お互いに感じた気配は「歩いてきた」こと、枕元でぴたりと止まって耳元すこしのところで話したこと、そして明らかにそこにいるという気配があった――どころか2人とも、不思議な事に、「実際に人がそこにいる」とき以上に気配を色濃く感じたということだった。

最後に、自分達2人が感じたり話したりしたことを併せて補完しながら時間順にまとめてみる:

4時頃、私の目が覚める。寝付けないが眠りたくて横になっていた。

私も家族も、枕元にゆっくりと歩いてくる強い気配を感じる。

その少し後04:30に、高めのこどもの声でお互いに話しかけられる。残念ながら内容はわからなかったが、自分達それぞれに向けられたものだということはわかった。

そこでいったん気配が消える。

ここで家族は私の寝言だと思って私に話しかけたらしい。しかし私が起きているかどうかわからず小声で、私はそれに気づいていない。

再び気配が現れ(といってもさきほどよりは気配は薄く距離は遠い)、せきこむような声に近い声が聞こえる。といっても、家族にはこれも言葉に聴こえたらしい。

私は家族が具合を悪くしたのだと思い、布団から出て様子を尋ねる。大丈夫だよと聞いて安心して寝室に戻り、再び眠る。

次の日の夜に私はこの体験を思い出し、家族に話す。家族も同様の体験をしていたことがわかり、また話しているうちに私も他の忘れていた内容も思い出す。そしてここになるべくすぐに記録することを決意する。

この美しく変化に満ちた毎日

ども。生きてます。というのが一言目ってどうよとも思ったけど、最後に投稿した日記がえらく深刻だったもので(というかその間に投稿した気にすっかりなっていた)、ひとまずはちゃんと書いておこうと思いました。

 

毎日楽しかったり悲しかったり、忙しかったりやる気が出なかったりと相変わらずですが元気です。園芸がうまくいったりひどすぎたり、音楽の古いのも新しいのもはまったり、ゲームも睡眠時間を削ってまで遊んだりと趣味も相変わらず。生活は客観的に見れば苦しいことに変わりはないですが、必ず改善して夢を叶えるんだという根拠のない自信に満ちている限りはきっと大丈夫でしょう。

それから、根本的な価値観や嗜好も変わっていません。食事の面でも、野菜中心にやっぱり紅茶とチョコレートばかり摂っています。けれど全体的には大きく向上していて、具体的には、より使命感と大きく深い意識というものを感じ始め、また実現するために何が必要かを大小さまざまなレベルで考えて着実に行動しています。

 

しかしまぁこんなにも間が空いているとは思わなんだ。4か月空けたのははじめてかもしれない。ちょいちょい紙媒体やケータイやTwitterでスケジュール・日記・思考なんかをメモして混乱したのが原因だと思われる。

もともとバラバラなところにメモっていたのを統一したのがこの個人用記録ブログなのだから、これじゃあ意味がないじゃないか。ということで面倒でも少しずつここにまた記録しようと思います。今まであったことや考えたことのうち、重要なものも遡って記録するつもり。一応空けている認識はさすがにちゃんとあって、秋以降しっかりメモしている(し、そのメモをなくしていない)から、時間のあるときにでも少しずつやっていく予定。

 

// その一覧的なメモはたぶんこのへんに目次がてらおいおい書こうと思う。

5年前の悲劇、再び

まずいことになった。また例の親族関連の揉め事が起きることになりそうだ。自分達側は何もしていないのだが、いやおうなしに巻き込まれるから問題なのだ。

状況は5年前と似ている。違うのは、当時とは違い相手側の悪意というものがおそらくいくぶんかは少ないこと、直接法的に攻撃を受けているわけではないことだ。

現時点では状況が少ないが、早ければ年内に引っ越さなければならないことになるだろう。解っている範囲内は見ることができるが、そうでない部分は全くわからない。それも、これまでの状況的にも、知り過ぎてもいけないのだ、身を守るために。

 

可能な範囲内で、発生しうる全てのケースを推測して備えたいと思う。

パニックを起こしたところで何もならない。

ここには作品を書かないが、現実逃避に短歌を詠める程度には冷静であるらしい。

掛け言葉が当の裁判所の所在地なのがなんとも皮肉だけれど。

 

まったく…本当に家族には縁がない。

邂逅

多少前向きな性格に戻っただけで、孤独という本質は何ひとつ変わっていない。

 

おそらくは自分は一生この本質から逃れられないのだろう。

それと引き換えに、耳をすませばいつも自然の歌が聴こえる、視える。

そうでなければ、きっと芸術を志してもいなかったのだろう。

 

もう10年前からずっと時間が止まっていたようだった。

けれど、改めて自分の本質を直視することで、また時間が動き出した、ような気がする。やっと自分で自分を迎えに来れたと、そう。

 

 

余談

色々あったり遊んだりしてぐっすり眠ったと思ったら2時間しか眠っていなかった、のが数時間前。妙に目が冴えて、音楽を聴いたりこれを書こうとしたりしたらいつの間にか気がそれて、論文読破コース。んで、先程、これを書きかけなのを思い出して続きを書く。まぁいつものry この集中力の波はどうにかならないものか。とりあえず眠ろう。