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あれはなんだ かたちは無く

存在の形

普通でないということに憧れる人々に対して、自分は冷めた目で見てしまう。

その人々は、表面的・刹那的なものだけで判断しているということだし、結局はそれらの人々を含めてだれもがありのままの姿として生きるのだということを理解していないということでもある。

それらの人々が、目につきやすい立場の人々に対して憧れているなら、本質が虚構であるゆえにその行動すら虚構だ。

つまり、自分の行動がきちんと理解できないまま感覚的なものに流されているように見える。このような人々は自分は苦手だ。

 

自分といえば、自分は今まで人という存在に対してなら何にも憧れることはないし、あこがれが自分を動かすこともない。それが良いか悪いかはわからないが、常に降り注ぐ信念や使命感に似たインスピレーションが僕を動かしている。

宇宙や、人を超えた大いなる存在に対して憧れは感じるが、それは憧れというよりは尊敬や懐かしさの類に近い。

それから、自分の価値観は客観的に考えて人としておかしい部分が多いし、何事もあくまで自然と邪道の道を選ぶ。そういう点においては自分は変だと理解しているし、それが良いか悪いかと考える気もない。それ以上も以下も望まない。今のままでいいし、今後変わるならそれもまたいい。(※この"いい"は"良い"ではない。そこにあるものをそのものとしてただ認める、という意味での"いい"である。)