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あれはなんだ かたちは無く

発達障害的観点からの自己観察

自分用の注釈※紙媒体にも記録してある。疲れて乱筆で読みづらいが。

 

・ため込む?

以前(今も?)「一人でため込むな」、とよく言われていた。自分ではため込んでいる実感はなかったので「???」でしかなかった。というか言いたいことは言う性格だし。そのころは、辛いことがあったり傷ついたりしても、すぐ忘れてしまったりごまかしたり遊んだりしていた。今思うと、やっぱりため込んでいなかったのだが、確実に「言葉にはしていなかった」。どう言葉にしていいかわからなかったのだ。そうして溜まった言葉にできない思いが、ごくたまの、(言葉の)凶暴性や、うっとうしさや、普段の芸術活動にはしっていたかもしれない。そしてそれは、他人からみると、「ため込んで暴発した」ように見えていたのかもしれない。

 

・中高の授業について

正直、どうして皆と一緒に座って同じ事をしなきゃいけないのか疑問だった。それでも初めのうちは、「授業とは出なくてはいけないものだ」と思っていたから出ていたが、中学2年生ぐらいからは飽きてしまってたまにしか出なかった。肝心の授業は、これまた正直、内容は知っているし、一人で論文を読むほうが楽しいしで、語学をやったり資料集をぱらぱらめくったりしていた。しばらくの間は、「ノートを完璧にとる」ことにはまっていたが、ほどなく飽きてしまった。

 

・中高のテストについて

数えるほどしかテスト勉強はしたことがない。それは、「やりたい時にやりたいことを独学する」のが一番性に合っていたからだ。これは何度も教師に窘められたが、今もなおっていない。それでも学習自体は好きだったので、点数は大体深刻ではなかった。深刻なものもあったが、やれば出来ると思っていたので、気にしなかったし、とにかく「高得点をとる」ことに興味がなかった。(じゃあ何に興味があったのかと言えば、「物事の本質を理解しようと試みる」ことだ。つまり純粋に学問を愛していたし、今でもそうだ。)最近まで、現代文のテストの主旨が理解できなかった。見る問題見る問題、「文中に書いてあるじゃん、なんでこんな当たり前のこと答える必要がある」と思い書く意味を見いだせなかったのだ。