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あれはなんだ かたちは無く

尖ったサイコロ

たまには発達障害関連の自己分析をしてみる。

アスペルガー関係の情報を探すにつれ、アスペルガーの型というものをしばしば見かける:俗に言う受動型・積極奇異型・孤立型というものだ。

僕の立場を初めに明らかにしておくと、僕はそれら型は参考にはすることはあれど、基本的に分類に賛同しない。それは、決して「アスペルガーという名の下の総合体」としてまとめてしまっているのではない。むしろ、それらの型に当てはまらないものとしてアスペルガーを見ている。つまり、たった3つの型以上に実際はより多くの特性・組合せを見せることから、型に合わせて容易に判断することは危険だと思うのだ。

それでも、一般的にはかなり知れ渡っているようだし、認識や行動などの面に分けるにしても、簡潔な記述としては分かりやすいかもしれないとも思う。

 

自分で自分のことは、まるで尖ったサイコロのようだと思う。一見サイコロのように見えてサイコロのように振る舞っている(色々な特性を垣間見せる)が、良く見ればところどころ尖っている(そのどれもがだいぶおかしい)といった感じ。サイコロ、と表現したのには訳がある。アスペルガーであるなしに関係なく、もともと僕はいくつかの性格が瞬時に入れ替わり立ち替わるようであるのだ。

(以前は、診断などで説明を求められた場合は、自分の中に何人もいる、と表現していた。しかし、多重人格と間違われやすかったのでやめた。事実、憑依されない限りは意識は一つなので、多重人格ではない。)

人の輪に入りたい性格や、人の中で孤独を強烈に感じる性格、憐みぶかい性格と、残酷で冷血な性格、そういったものがほとんど同時と言っていいくらい瞬時に切り替わっていく。性格だけならいざ知らず、アスペルガーの特徴とADHDの特徴、先に述べた積極奇異型と孤立型、それらもどんどん混ざって変わっていく。

僕の趣味や好みが多彩すぎることは自他ともに認めるところだが、もしかすると性格の複雑さとも関係するのかもしれない。誰にでもこういった多面性というものは存在するのだろうが、あまりにも差が激しく、自分でも振り回されてしまうほどだ。

だが決して、僕はそれを特別だとは思っていないし、苦しんでもいない。確かに性格や特徴が激しく変わっていくけれど、それはあくまで一つの手段としての表出であり、根本的な核の部分は変わらずに存在していることを知っているからだ。でないと、とうとう発狂してしまったかもしれない。それに、その状況に少々困惑しつつも、基本的には楽しんでしまっている。どうしても抗えないものとも言う。

数分後の追記:そう考えたら、サイコロというよりコマかもしれない。いや、コマは回転するだけ回転して倒れるところが嫌だな。尖ってもないし。