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あれはなんだ かたちは無く

~2014/03/06 夢日記

ふと思いついて日帰りで徳島へ小旅行へ行くことにした。船で向かう。

夢の中での月も3月だったのだが、空気はあきらかに7月初旬だった。実は季節が飛んでいたのかもしれない。

到着してから、東へ歩く。坂道だらけで、なだらかに登ったり下ったりしながら、すこしずつ標高が高くなっていく。

(後から考えたら、このあたりから少しおかしかったのだ。空気がそれまで感じたことのない違う空気であったし、歩いている時点で、もう徳島とは違うどこかのような気がしていた。)

遠くに海が見える。車はない。

明るい橙色と影のコントラストが高かった商店街を抜けると、目の前に大きな神社がそびえていた。

大きな石の鳥居に、細目のしめ縄が緩やかなカーブを描いて垂れ下がり、しめ縄には緑がかった両雲母花崗岩のプレートが5つついていた。どれも長三角形をしていて、中央のものが最も大きい。それには何か字が書かれていたが覚えていない。珍しいな、と思ったことを覚えている。

神社といっても門のない小さな小屋の様だった。中には誰もいないのだが、とにかく面が沢山飾ってあった。鳥居と本堂の距離は10mほどと短く、また、直感的に鳥居をくぐってはいけないような気がした。

振り替えると、商店街は高さ20mほどと相当に高かったことに気づく。唐突に商店街に切り替わったうえ、距離も幅も短かったので、気が付かなかった。

脇を中学生2人が自転車で駆け抜けていった。白い学ラン姿であった。

ふたたび歩きはじめる。

道の途中で、人だかりに遭遇する。200人はいたであろう。道をびっしり埋め尽くしていた。中心では海外の人2人組が演奏をしているようだった。

楽器はウクレレサイズの弦楽器であった。黄色い太めの弦が7本、長さがななめに揃うように張ってあり、ボディーの形は四角かった。見た目に反して、ギター並みの音量を響かせていた。やがて歌が始まった。僕はとくに興味が無く、先へと歩く。

坂の上に到着すると、そこら一帯はアパート地帯であるようだった。背後には森が、遠くには海が見える。眼下には、道が縦にも横にもうねうねと伸びる様が広がっていた。ところどころアパートに行き当たっていたり、どこかに吸い込まれたりしている。アパートはオフホワイトであったり黄色であったりしていたが、共通しているのは凹凸が少なく、また、着色された鉄の柵が多いことであった。庇のあるものもあった。どこか台湾やキューバのような雰囲気もあり、多民族国家のようであった。

アパートは斜面に沿って建てられていたので高さはまちまちである。手前にあるアパートの上層階と、今いる坂の高さが同じらしい。道の一部はアパートへつづいている。そこらじゅうこんな調子で、ちょっとした迷路のようだった。気が付くと、周りに子供や大人が沢山いて、自分と同じようにアパート群を見下ろしていた。

(今気が付いたが、夢に出てくる人もみなどこか雰囲気が違っていた。はっきりと言及できない、色々まざったような骨格をしていて、何色ともとれるような肌と眼の色をしていた。そして皆、穏やかで遠くを観ているような眼をしていた。夢全体から考えて、はたして人間であったかどうかも本当はあやしい。)

見ると、見る見るうちに海の水位が上がり、ところどころ道路が冠水している。最高で、手前のアパート(5階建て)の4階まで上がっていた。それに対して、住人達はどよめくでもなく、わいわいとしていた。後から解ったが、住居に浸水するような心配もないらしい。そして、水のような見え方をしているが、とくにこちらに影響のない、感触のある投影のようなものであるらしい。(そのため、もしかすると、これは海に見えるが本当はそうではない何かなのかもしれない、と思っている。)

聞いてみると、恒星と意思の関係で、年に1・2回起こる現象らしい。子供たちがきゃあきゃあと騒いでいた。20分ほどして、またあっさりと海の水位が戻っていった。1日のうち、3時間おきには発生するらしいので、長く滞在するならばまた見てみるといいよ、と告げられた。

僕は暫く散策することにする。つづく道をたどって手前のマンションの共有の廊下にお邪魔する。外からは短調な長方体に見えたが、中は込み入った様相だった。基本的に吹き抜けを中心として、1階につき2世帯か4世帯が入居しているのだが、それぞれの幅や形がばらばらで、内側にベランダが出っ張っていて、廊下が入り組んでいる。吹き抜けの所は庭園になっていた。吹き抜けにそって螺旋のように階段が設けられている。吹き抜けに面する部分はどこも、半共有のベランダになっているようだった。さっきの子供たちが3人廊下とベランダの間の段に腰かけていて、「兄ちゃんも遊ぼう」と誘ってきた。それで、しばらくこの辺の話をしたり、赤い花のボールを追いかける遊びをしたりした。諸所のベランダには、おだやかな涅槃の像や赤い睡蓮のインテリアがあったり、かと思うと十字架が掲げられていたりして、所どころに宗教に関するオブジェが見受けられた。嫌な感じはせず、むしろそこの生活にまったく溶け込んでいて、とても自然で暖かいと感じた。

マンションを下っていき、吹き抜けの終着点より下の階が1階であった。ここは共有の階層である。光が少ないので薄暗い。階段を降りていて玄関に近づいたときに初めて分かったが、マンションの入り口は2mほどの石の鳥居になっていた。これはどういうことなのであろうか?

来た方を歩く途中で、同じく徳島へ向かってきた母と合流した。標高は低く、草原とフェンスが多かった。ほんの少し湿気を含んだ、乾いた、少し冷たい青い空気に変わっていた。件の海の話をすると見てみたいというのでまた戻る。そのうちに、叔母が徳島にいるので寄っていこうという話になる(実際には叔母は徳島にはいない)。風景は変わらず、海沿いに草原が続いているのだが、フェンスが入り組んでいてところどころ行き止まりになっている。同じく、傍らにいたツーリングの旅人もどこかに向かおうとしているのだが、ちょうどここから東にはどうしても進めないのだという事であった。見上げると、頭上に幹線道路が見え、行きかう車が見えた。(起床してから気が付いたが、そういえば車を見たのはこの時が最初であった。)

仕方がないので、まず西に歩きもと到着した場所にもどってから、そこに駅があるのでそこから都市を移動することになった。しかし、駅からは大阪方面と愛媛方面への二種類の線路があるらしい。どっちに乗るのだ、という話になったが、なんにせよまずは僕が叔母のいる都市を直接把握した方が早いだろう、という所で目が覚めた。

 

色々と不思議な夢であった。空気の色・感触といったような、いくつかの特徴から、僕は、この夢で訪れたのは夢世界の1つではないかと踏んでいる。これまでの夢世界とは違い、象徴的なものが多いという点が興味深い。