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あれはなんだ かたちは無く

縁の記憶

ふとした瞬間に、とある仲の良かった一家のことを思い出す。日々暑さが増してゆくこの季節、いっそう彼らの事を思い出す事も多くなってゆく。地域関連の場所で知り合い、小学生の頃から一家ぐるみで仲良くしていたし、とても良くしてもらったものだ。一言では表せない、優しさや切なさや尊敬の混ざった色々な思いがあり、また優しく賢い一家で、ずっと仲良くしていたかった。

あるときここの長男が夢を叶えるために全寮制の学校へ進学し、それに伴って一家は西方へ引っ越した。そこまではいいのだが、全てがあっというまで、不思議なことにこの一家がその後どうしているのか誰も知らない。どころか、記憶も曖昧だというのだ。

あとから知った話だが、この一家はどうも自分以外の大半の人々とは折り合いが悪く仲も良くなかったらしい。自分はその一家の事が大好きだからそんなことはどうでもいいのだが、とりあえず皆が記憶が曖昧だということの理由としてはうなずける。

さて、いてもたってもいられず、地域の長的な人に何度か聞いてみたのだが、やはりよく分からないらしい。気が付けばあれから丸10年が経つのだ。お互い苦しい生活を強いられていたが、少しでも幸せがあったのだろうか。長男は夢を叶えてどこかに赴任しているのだろうか。長女のあの美しい瞳はより美しくなっているのだろうか。

 

考えると昔から、それは物心がやっとつくような子供の頃から、他の人には嫌われている、というような人々と自分は意気投合することが多かった。話してみれば彼らはたいてい優しく賢く落ち着いていて、なぜ嫌われているのかはいっこうにわからない。むしろ嫉妬の一種なのかもしれない。仮にそうだとして、自分から世界を狭めることをする理由も理解できないししたくもない。あとは、もしかしたら彼らには自分の知らない闇の一面があり、それゆえに嫌われているのかもしれない。

だが、それらの事はどうでもいい。それらの人が、たとえ一面にすぎなくとも自分の気に入ったなら、他にどんな側面があろうと気に入ったことには変わりがない。それは絶対たる事実だ。事実今でも、人に嫌われていようが前科者だろうが、自分はそれだけでは決して判断しない。自分が好きかどうか、優しく賢いかどうか、(あくまで自分の基準であるが)人として尊敬に値するか、ただそれだけだ。

逆に、自分自身も、嫌われているとまではいかないがどうも人からは距離を置かれやすい傾向にあるように思う。高校生の中ほどまでは、正直言って人が好きな反面嫌いでもあったので、自分から壁を作っていたというのが理由だろう。だがそれ以降はこの壁を完全に壊し、またどんどん自分から接していくようになったので、現在での理由は不明である。もしかしたら、この日記もどきに書いているような、時々深く考えるような雰囲気が出ているのかもしれない。または、自分は本質的には孤独を愛しているということが伝わっているのかもしれない。それならそれでいいし、きっとどうしようもない。だが不思議なことに、相変わらず、完全に波長の合う人は一目見た瞬間に直感で分かる。そしてさらに不思議なのは、そういった人は例外なく、自分との距離を感じていないらしいし、むしろどんどん近づいてくる。自分は、性格的に好きな人はとても好きなので、それらは好ましいし逆にもっと彼らのことも知りたい、とも思う。一見矛盾しているようだが、孤独も友達の事も本当に好きだ。

とまぁ話が脱線したが、今まで会ってきた人々にはもう二度と会えないだろう人も多いけれど、引き合わせられた縁には感謝してやまない。そして同時に、自分の大好きな人々をはじめ、全ての人々の幸せを心から願っている。