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あれはなんだ かたちは無く

世界の構造と認識について……

世界の構造と認識について、答えは見つからないのは承知で、考えてみることがよくある。僕は宇宙が大好きだ。だが、同時にとても恐ろしくもある。ちょうどその2つの感情が合わさり、同時に存在しているさまは、愛とも恐怖とも似ているけれど、また別の感情のような気もする。それ以外に、どう表現していいのかわからない。

さて、僕はもともと物理学とオカルトと神話学、そのどれも信じているし、それらはすべて等しく同等の信憑性をもったものとしてとらえている。むしろ、そのどれかだけで論じることができるものの方が本当は少なくて、軽蔑されがちな、心理や観測や次元といったものも重視して扱えば、なんらかの接点や法則性が見つかると思っている。

 

僕が感じたり分析したりして、心中に描いている世界の構造についてメモしておく。途中色々な概念を新しく含むことはあったものの、基本的には10年間ほど変化していない。初めに書いておくが、僕の考え方は、たぶん一般的ではない。そして、世界や自分というものに対して、当たりまえだと思われている事柄から否定しているので、一種の恐怖だと思うかもしれない。

冒頭で、僕の宇宙への愛と恐怖について述べた。それは恐らく、「そこから発生した」という郷里愛にも似た感情と、「ルーツや構造を知るのが怖い」というごく単純な理由から出てきているのだと思う。

 

世界について

・世界は一つではない。単純にパラレルワールドが存在する、ということを言いたいのではない。過去、現在、未来、様々な可能性、それらが全部、無数の「今、ここ」となって存在している。そして、それらはあたかもしゃぼん玉のような形をしていて、お互いに接したり離れたりしている。そしてその認識の中において、人は、そのしゃぼん玉を無意識に移動しながら生きているのだと思う。それがふいに何らかの力で、僕達の思う「常識」から外れたとき、「不思議なこと」が起こる。

・世界は世界ではない。僕達が感じるこの風景、感情、時間、すべてもともと存在する「形式」があり、その中で生きているように思えるが、実際にはそうではないと感じる。多分本当は、あらゆる現象や励起が無尽に存在するなかで、僕達自身が「感覚」として受け取り、脳により「再構築」したものが、僕達のみている世界でしかないと感じる。つまり、僕達自身の中に世界を世界にする力があるのだと思う。言葉を変えて言えば、人間の中にもまた世界が存在し影響しているのだと。

 

世界の姿

・これは僕の個人的な想像でしかない。想像というよりは、今まで受け取ってきた情報や感覚、なるべく人間の外に近づいて物事を観ようと試みたこと、そういったものごとの結果として脳裏に浮かんだ直観を、イメージしやすいように置き換えたに過ぎない。

僕の思う世界の姿とは、こんな調子である:

暗い何もない空間に、光る球が整然と並んでいる。それは縦にも横にも広がっている。それらはゆるく連結されたり、切り離されたりする。また、垂直方向に励起したり、一瞬で広がったりまとまったり、あたかも波のようにさざめいたりする。それらの動きの一つ一つを見るその瞬間の意識の集中、それが世界である。

 

認識について

・ところで人間は、ある動作をある瞬間やろう、と決めても、本当に脳が「やろうと決めた瞬間」は、実際より数分から数時間前のことらしい。また、脳に情報が入ってきた時間と、それを認識する時間は同一ではなく、わずか0.1秒にも満たないタイムラグがあるそうだ。そして、これは以前本で読んだことだが、そのタイムラグが発生するがために人間の意識は作られ、感じることができるのだという。これらの話をまとめると、本当に考えたり認識したりしているのは何か、ということになる。僕達は当たり前のように脳が頭にあって、頭で思考していると考えているが、そうではないのかもしれないと思っている。脳でも自分という認識するモノでもなく、色々なズレやその間に入ってきた情報、それらがまさに自分というものを形作り、続いて処理された情報を得る、その連続ではないかと思う。「あるという事実」を離れて以後は、認識による投影でしかないのかもしれない。

・認識は、ことによれば身体も、あらゆる場所、次元に存在できる。これも、世界同様、単純に、パラレルワールドにワープするとか、同時に人が存在できるとかいったことを言いたいのではない。僕達は本当はあらゆる場所、次元に自由に移動、選択できる力を持っているし、過去にも未来にも行けるし、何にだってなれるのだ。だが、この力はコントロールするには強大すぎるために、脳か自然か、または自分自身が封じているにすぎない。また、別の「今、ここ」からやってきている物や人に囲まれて本当は過ごしている。日常の認識は、一年の繰り返しなどという平面的なものではなくて、様々な次元が絡み合い互いに影響し合っている立体的なものだ、と感じる。