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あれはなんだ かたちは無く

自分の性格について思ったこと

以前は自分の性格が気に入らなかった。

それから変わったり変わらなかったりしたが、今は自分の性格が気に入っている。

 

僕はときどき自分の性格が良く解らなくなる。

病気としての多重人格ではないけれど、タイミングによって考え方や言動が別人のように変化して、自分でもよく振り回される。

それでも何かしら共通する価値観を感じられたので、内省したりここに書いてみたりして、しばらく観察を続けていた。

やっぱりブレが大きいものの、その甲斐あって今では大体の自分の性格は把握できている。(この根本的な価値観のことを、性格、と呼んでいる。)

 

これまでも一部を書いたが、人として部分的に思考が異常であるらしい。そのことについてはこれが自分なのだから仕方がないし、よくよく考えたり確かめたりしての現状なのだから直す気はない。

僕が優しいか冷たいか、良い人なのか悪い人なのかはよく解らない。陰口やいじめは大嫌いだからその類は決してしないという意味では良い人かもしれないが、一度喧嘩になると、相手の主張や正論で徹底的に論破するという意味では悪い人かもしれない。(そもそも喧嘩自体がくだらないと思うので、最近はめったにしない。ただし、本音しか言わないので喧嘩になることもあるが、ヘラヘラ笑ってごまかすよりはずっと良いと思っている。)

あと、人の好き嫌いが激しく、また人からの好かれ嫌われも激しい。これもなんとも思っていない。幼いころは全ての人に好かれたいと思って苦しんでいたが、そんなことは誰にもできない。(今考えると、小学校の時のいじめは長いこと心の傷だったけれど、下手に誰とでも仲良くできていて後から苦しむよりは良かったのかもしれない。)あと、僕は本心や正論しか言わない上に、うわべだけの付き合いというのが大嫌いだ。だからこそ好き嫌いも好かれ嫌われも激しいのだが、客観的に考えて、「常に本心」のこの性格は時々問題になる。もっとも、直す気は全くない。

最後に、落ち込む時は落ち込むけれど、基本的に明るい性格で、根本的に真剣、だと思う。気分が乗っているとき、歌ったり踊ったりするのも直す気はない。自分で言うのもなんだが、一般的に言われている意味でのロシア人の性格に近いのかな、とたまに思う。(もともと僕はロシア好きで、ロシア語も学んでいるのだが、もしかすると共通点が多いからこそ惹かれたのかもしれない。)

 

楽しいことや・辛いことはそれはもう山ほどあって(大げさだが、内容が酷過ぎて書けないくらい色々なことがあった)、その記憶だけで時々本当に苦しくなるし、腹立たしいというか歯がゆいことや・どうしても行動しなければならない衝動に似た使命も相変わらず消えなくて、それゆえに僕はポジティブでもあるようだ。

冒頭の通り、変わったり変わらなかったりしたことも沢山経て、長所も短所も気分のむらも含めて自分の性格は気に入っている。

これからもきっとその繰り返して、性格も少しずつ変わっていくのだろうけど、最後に、今の僕が変わりたくない、と望むことを書いてこの記事は終わりたい。

・人に悪意を持つことは悪いことだという価値観は変わってほしくない。騙すよりは騙される人間であれ。一言で言うと、キリスト教的精神の維持。

・今までもそうだが、(主に精神的な)鍛練を欠かさない人間であれ。

・あること・思想について、自分に理解できないからといって否定するような人間にはなりたくない。

(※これらは、「こうなりたい」という理想でもないし、「こうあるべきだから」という焦燥でもない。好みのものを身に着けていると快適なように、(あくまで主観的に)僕の過ごしやすい人間像でいると快適、ただそれだけの理由である。

たとえば、僕は本当に心から人に悪意を持ちたくない・というか持てないし、自分の好きな人間も嫌いな人間も誰でも幸せであってほしい、と心から願っている。

つまり、この段落では、今までもそうだし、これからもそうであってほしい、という事を願っているに過ぎない。)