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あれはなんだ かたちは無く

夢関連四方山話

最近また、夢についてあれこれと観察したり考察したりしている。

以前からわかっていることやふと思ったことを簡潔にまとめておく。

 

・寝ている時に見ている夢も、願望としての夢もたぶん同一。

・夢の深い部分は集合意識につながっている。段階が数種類ある。これは物心ついたころから直感的に知っていた。

 

・自分の夢に対してのみ使う分類:

(急いで書いているので書洩らし等あるやも)

…夢らしい夢:いわゆる普通の夢。一見脈絡のない風景。多分、飛びかう記憶や思いがそれを形作っている。

…夢:自分にとっての標準で、明晰夢。自由に行動する。

…何度も来た場所:集合意識の色がより濃くなった明晰夢。独特の、初夏のような色あせたような、地球上には存在しないと確信できる空気が流れていて一瞬でわかる。

・精神状況と夢はよく合致している。基本的に、自分は1度の睡眠で上の"何度も来た場所"を何度も見るし、かなりの部分を覚えている。調子が悪ければ悪いほど、夢らしい夢なっていったり、記憶さえないこともある。

・夢と現実は本当は同じもの。風も人も同じ命。夢で行ったことはみんな知っている。そして、夢ではあらゆることができるしすなわち現実にもできる。だが自分はそれはしない。使命として見るべきものだけを見て、それ以外は、意識上の管理人や住人たちの話を聞いたり、あちこち訪ねていったりするのが好きだ。

 

つい最近考えた事など

・長い目で見ると、ここ近年…2年ほどは調子が悪いが、ひょっとすると色々と攻撃を受けていたのかもしれない。一方ここ最近…冬以降は本調子ではないもののずいぶん持ち直した。これは、色々考察し直したり自分というものを突き詰めたり感謝することが増えたりした時期ともかさなる。心からの望みとしての博愛の心を磨きつつ、自分を攻撃するものには防御をする、ということが上達しつつあるのかもしれない。

・自分には脳関係の色んな性質や共感覚があって少しわかりづらかったのだが、それらも含めて、おそらく自分は常に白昼夢を見ている。以前も、ずっと内面で考え事をしている、と書いたが、それと同時に行っている。意識を保ったまま夢を見ているという意味では、白昼夢も明晰夢も同じである。このことは、何か性質を明らかにする指標になるかもしれない、とふと思う。

・これは確信ではないのだが、"何度も来た場所"を見ているとき、意識は身体を離れてどこか遠くへ行っているような気がする。以前からなんとなくそう思っていたのだが、理由はなく最近もっと強くそう感じるようになった。もちろん潜在意識では全ての次元につながるから、夢を見ている時点で離れているのだが、それとは別にもっと深い根源的な何か、そのような場所へ行っているような気がする。

・上を書きながらいきなり思い出したのだが、そういえば、寝ていても覚めていても自分はときどき意識がふわっと身体から抜けることがある。自分はよく離人症を起こすし、一見似ているのだけれど、全然別だ。離人症は、ここにいるという感覚がなく、実態感がないまま気が付いたら真上を浮かんでいる。今書いている離脱感は、頭はどこか半分まどろんだ状態に近いが、絶対のリアル感を確信している。そして身体から抜けた意識は細かく震えていて、赤と青と緑の輪郭がいくつも揺れながら重なり、自由に浮遊している。覚えていないだけで、3日に1回は起こっていた気がする。どうして覚えていなかったのだろう。そして、どうして今急にふっと全て思い出したのだろう。

 

・最後に、どうしてこうなったのか。それは実際のところはわからない。ただ言えるのは、ごく幼い頃から毎日のように"何度も来た場所"で遊んでいて、そこはこの世界ではないことがわかっていて、それでもよく親しんだ安心感のある場所だということ。

そして、自分は今までずっと夢に興味があり、意識を向けたり考察し続けたりしてきたということ。今でこそこうしてある程度は考察を言葉に出来ているが、昔から、どこか人の言う夢とは少し違うことがわかっていてすごく面白かった。そして単純な興味の時もあれば、辛い現実からの逃避の時もあったけれど、とにかく夢を見て観察するのが趣味の1つといえるほど没頭してきている。

元々夢の性質が変わっていたから惹きつけられたのか、色んなものに興味を持った結果夢の性質に気が付いたのか、どちらが先かはわからない。同時かもしれないが、ただきっと偶然ではない、と感じる。