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あれはなんだ かたちは無く

【メモ】脚本原案ふたつ

・「自分と同じ名前の役を演じている」という設定で生活を送る役者グループ。謎の脚本家の書いた脚本の練習を始めた日から、現実と虚構が混同してゆき…?壁を破る、的な結末、の予定。

 

・いわゆる脇役が主人公の話。脇役であることを前提に、"どこかに存在しているはずの"主役を探して、『ヒント』と呼ばれる、観客には見えない何かと共に旅をする。役柄とはなにか?そして驚きの結末、の予定。

秋について

忙しかったり気が散ったりして、ほぼ2か月ぶりの投稿だ。ははは。このブログは基本的に備忘録なので、この間もちょこちょこ手元にメモしている。今度気が向いたら書きに来るつもりでいる。

色々あるけど楽しく生きておりますよ。否、生かされている。かなり以前の僕を知っている人ならば変わったと言うだろうけれど、ここに何度も書いた通り、今では生きていることが楽しくありがたい事だと理解しているから。

 

秋は、潮の満ち引きとよく似ている。人も自然も、仕舞っていた記憶やまだ見ぬ希望が次々と溢れ出る。

暗い黄金と紺色が絡んで、ゆるやかなグラデーションを描きながら渦を巻く。

それらは他のどの季節よりも一段と濃密で美しい反面、昇華しきれぬ想いが押し寄せてくる。小舟にゆられて遭難しそうになる。

…だから、秋は苦手だ。晩秋になると想いは自由に飛びはじめる。荒波の連続から逃れて、少しは息をつくことができる。

 

memo: イメージ→FFのMr

違和感の正体

久々に家族と口論をした。切っ掛けは仕事絡みの話であったが、話をしているうちに以前から家族に対して感じていた違和感について、はじめて気づくものがあった。

 

一言でいうと、自分の家族関係は本当に深刻なのだ。どの家庭にも多少なりとも問題はあるのだろうけれど、規模や溝の深さにおいて、客観的に見て絶望的な状態だ。以前から言っている通り、自分には家族が1人しかいないと思っている。百歩譲って2人か。他の存命の人々は、とても血がつながっているとは思えないくらい色々な意味でひどく、もう諦めているし話もできるとも思わない。改善する気もない。

さて、その2人の家族であるが、基本的には良い人たちで趣味もある程度合うのだ。しかし、ふとした折にこうして口論になった際には、本質的な意味ですごく遠いと感じる。絶望的な意味では全くないのだが、ふっと、「ああ、無理だ」と感じる。お互いのために、近づきすぎない方がいい、そう直感でわかってしまう。家族ってこういうものじゃないだろう。だから、それはとても悲しいことのように思う。

その原因の1つとして今日はっきりわかったのが、その2人と自分とは、思考回路が全く真逆である、という事である。別に意図しているわけではないのだが、自分はどうも理論や言語によって構築して考えたり話したりする事が得意であるらしい。そして2人はその逆だ。理解するとかそれ以前に、何を話したいのかがかみ合わないし、どうにかしようとすればするほどお互い苦しくなる、そんな状況。普段からかみ合っていないのだが、今日のように口論などの状況において、それは浮き彫りになった。

根本的な解決をすることは難しいし、きっと解決もできない。だから適度に色々工夫をするしかない。もしかすると自分が家族というものに理想を抱きすぎているだけかもしれないけれど、時々むなしくなる。いや、色々あった分だけ、家族に対しては確実に人より理想が低いはずなのだ。誰が悪いわけでもないのだが、一度眼を向けると抜け出せない、出口の見えないトンネルのよう。どうすればよかったんだろう。

 

ここからは単なるメモ。

今日に限ったことではないが、まぁ落ち込んでばかりいても仕方ないし、状況を活かす方向で考えてみよう。

 

・言語に多少なりとも適正があるということで、もう少し真面目に文章や語学を再開しよう。

・家族をはじめ、年齢のわりに本当に辛いことが多いわけだが、もうたぶん運命なのだと思う。そういう状況を昇華して何かを成す、それが自分の使命の1つであるような気もする。それに耐えられるかどうか。

もしかしたらこの先もずっと辛いことばかりなのかもしれない。それでも、幸い、元来の性格はポジティブだし、この世に興味がある限りはなんだかんだ言ってどうにか生きているのだろうね。

・さて、思考回路とか、(脳の発達的に)自分が少し変わっている、という事をふまえて。もうずっと前からわかっていることだが、人は理解しあえない。自分の思う理想は、きっと精神的だったり芸術的な世界にしか存在しない。そしてそもそも、世の中の人の多くはこんなに1つ1つを深く真剣に考えたりしない。

もちろん皆が適当とは言わないけれど、かなりの部分が行き当たりばったりに見える。人生や、死や、誕生でさえも。そのことにも時々苦痛を感じてしまう。

そこから言えるのは、かなり前から覚悟していることだが、自分はやはり孤独に生きていく定めなのだろう、と思う。もちろん前述の、精神・芸術においては、人外のものとのふれあいという意味では全く孤独ではない。そうではなくて、いわゆる一般的な社会的な意味では、きっと孤独なのだろう。人は皆孤独なものだが、本当に人との深いつながりを悉く絶たれている気がする。そういう道が自然すぎて抵抗もないが、そうでない場合はどうだったのだろう、と時々思うこともある。

・現実的なこと。色々痛みが多くてゆっくり過ごしているわけだが、実際的にも、開放的にも、そろそろ行動しなければなるまい。というわけで、そろそろ後回しにしていた事に着手しよう。

夢関連四方山話

最近また、夢についてあれこれと観察したり考察したりしている。

以前からわかっていることやふと思ったことを簡潔にまとめておく。

 

・寝ている時に見ている夢も、願望としての夢もたぶん同一。

・夢の深い部分は集合意識につながっている。段階が数種類ある。これは物心ついたころから直感的に知っていた。

 

・自分の夢に対してのみ使う分類:

(急いで書いているので書洩らし等あるやも)

…夢らしい夢:いわゆる普通の夢。一見脈絡のない風景。多分、飛びかう記憶や思いがそれを形作っている。

…夢:自分にとっての標準で、明晰夢。自由に行動する。

…何度も来た場所:集合意識の色がより濃くなった明晰夢。独特の、初夏のような色あせたような、地球上には存在しないと確信できる空気が流れていて一瞬でわかる。

・精神状況と夢はよく合致している。基本的に、自分は1度の睡眠で上の"何度も来た場所"を何度も見るし、かなりの部分を覚えている。調子が悪ければ悪いほど、夢らしい夢なっていったり、記憶さえないこともある。

・夢と現実は本当は同じもの。風も人も同じ命。夢で行ったことはみんな知っている。そして、夢ではあらゆることができるしすなわち現実にもできる。だが自分はそれはしない。使命として見るべきものだけを見て、それ以外は、意識上の管理人や住人たちの話を聞いたり、あちこち訪ねていったりするのが好きだ。

 

つい最近考えた事など

・長い目で見ると、ここ近年…2年ほどは調子が悪いが、ひょっとすると色々と攻撃を受けていたのかもしれない。一方ここ最近…冬以降は本調子ではないもののずいぶん持ち直した。これは、色々考察し直したり自分というものを突き詰めたり感謝することが増えたりした時期ともかさなる。心からの望みとしての博愛の心を磨きつつ、自分を攻撃するものには防御をする、ということが上達しつつあるのかもしれない。

・自分には脳関係の色んな性質や共感覚があって少しわかりづらかったのだが、それらも含めて、おそらく自分は常に白昼夢を見ている。以前も、ずっと内面で考え事をしている、と書いたが、それと同時に行っている。意識を保ったまま夢を見ているという意味では、白昼夢も明晰夢も同じである。このことは、何か性質を明らかにする指標になるかもしれない、とふと思う。

・これは確信ではないのだが、"何度も来た場所"を見ているとき、意識は身体を離れてどこか遠くへ行っているような気がする。以前からなんとなくそう思っていたのだが、理由はなく最近もっと強くそう感じるようになった。もちろん潜在意識では全ての次元につながるから、夢を見ている時点で離れているのだが、それとは別にもっと深い根源的な何か、そのような場所へ行っているような気がする。

・上を書きながらいきなり思い出したのだが、そういえば、寝ていても覚めていても自分はときどき意識がふわっと身体から抜けることがある。自分はよく離人症を起こすし、一見似ているのだけれど、全然別だ。離人症は、ここにいるという感覚がなく、実態感がないまま気が付いたら真上を浮かんでいる。今書いている離脱感は、頭はどこか半分まどろんだ状態に近いが、絶対のリアル感を確信している。そして身体から抜けた意識は細かく震えていて、赤と青と緑の輪郭がいくつも揺れながら重なり、自由に浮遊している。覚えていないだけで、3日に1回は起こっていた気がする。どうして覚えていなかったのだろう。そして、どうして今急にふっと全て思い出したのだろう。

 

・最後に、どうしてこうなったのか。それは実際のところはわからない。ただ言えるのは、ごく幼い頃から毎日のように"何度も来た場所"で遊んでいて、そこはこの世界ではないことがわかっていて、それでもよく親しんだ安心感のある場所だということ。

そして、自分は今までずっと夢に興味があり、意識を向けたり考察し続けたりしてきたということ。今でこそこうしてある程度は考察を言葉に出来ているが、昔から、どこか人の言う夢とは少し違うことがわかっていてすごく面白かった。そして単純な興味の時もあれば、辛い現実からの逃避の時もあったけれど、とにかく夢を見て観察するのが趣味の1つといえるほど没頭してきている。

元々夢の性質が変わっていたから惹きつけられたのか、色んなものに興味を持った結果夢の性質に気が付いたのか、どちらが先かはわからない。同時かもしれないが、ただきっと偶然ではない、と感じる。

2014/08/19夕方 夢日記

少し前に旅行から戻ってきた。旅行自体は楽しいが、それとは別に、僕は最近自分自身の事についてどこか後ろめたいような困っているようなところがずっとあった。

旅行中はずっと、気持ちのよい快晴であった。普段は天気予報をあまり見ないのだが、なんとなく気になって確認する。今晩から全国的に天気が崩れるらしい。

はじめは全く疲れを感じていなかったが、それはたぶん錯覚で本当は疲れていたのだろう。今日の夕方から考え事をしつつ横になっているといつの間にか眠っていて、夢を見ていた。

 

印象的な夢であった。相変わらず僕は高校の最高学年で、次の日までに提出するレポートと、見知らぬ後輩からとある雑誌の新たな編集長をいきなり任されるも情報がなくわたわたしていた。

まずはシャープペンがどうしても見つからず困っていた。というのも、そのペンで書かなければ自分は気が進まないようであるのだ。ペンには他にも7色のボールペンがセットされてあるらしい。自宅学校屋内屋外と探した。

自宅は外観は今住んでいるところと変わらないのだが、内装は全く違っていて、間取りも違えば配置も違う。天井は高くフロアは広く、特に印象的なのは壁紙も家具もなにもかも真っ白だということだ。

捜索を家族にも手伝ってもらいながら、1階の駐車場でようやく発見した。そんな場所で発見したにも関わらず、ペンは綺麗な状態であった。

 

その後、教室で、数学教師と話していた。実際には知らないのだが、もう十何年も知っているような、心から信頼できるような怖いような不思議な雰囲気で、目は暖かさと冷酷さを併せ持った鋭い輝きをもっている。この人は自分の導き手である、しかしいつもいつまでもいるわけではない。直観的にそう理解していた。

はじめは他愛ない話であったが、だんだんと深層に迫った話へと変わっていった。冒頭で書いた、僕の心の中の逡巡や現状をやはり見抜かれているのだ。話の詳細はほとんど覚えていないのだが、螺旋階段を降りて行くようにつながっていく話であった。

教師は肉じゃがを食べ始める。食事しているのに、教師は食事をしていないように見える。逆に自分は、食事していなのに、食事をしている感覚がする。食事というのは少し違うかもしれない。目に見えるものとしては肉じゃがの形をしているが、何かエネルギーのようなものを交換していた。

教師は僕のことを否定も肯定もせず、ただあらゆる方向からの単純だが難しい質問を投げかけ、自分はそれらに全て答えていた。少しずつ、自分のなかの原動力のようなものが息を吹き返すのを感じたが、まだどこか暗いヴェールにおおわれているような感覚が抜けない。

少しずつ教師の色が透けていく。もうこの夢もそろそろ終わりなのだ、と悟った。最後に教師に聞かれたのは、「お前は答えを出すべきものに対してどう立ち向かうか?」ということだった。実際にはこの後に分かりづらい抽象的な事をも聞かれた。

自分は、まず「最後のことはよく分からなかったので、意図をとらえられているかどうか自信はありませんが、」と前置きをして、「常に逃げずに正面から向かい、答えを出す」と答えた。淡々と答えているようだが、心の動き的には言うというより叫びに近かった。抑えきれない思いが質問を受けたことで箍が外れ、魂が衝動的についに思いを言葉にした。そんな風であった。ちなみに、実際には今のところ残念ながらできていないことも度々あるが、夢の中の自分の言いたいのは、常にそのような姿勢を忘れない、ということらしかった。

また、夢の中の自分は現実より年下、つまり過去の自分であるように見えるが、どうも未来の自分であるような気がする。そして、未来の自分は今よりかは色々とうまくやっていけているらしい。

今よく考えれば、夢の中の自分は、実際の年齢より5歳ほど年下ではあるが、自覚している自分の精神年齢よりも2歳近く年上である。まぁ正直にいって自分の年齢感覚からするとどちらも些細な差で数字自体に意味はないのだが、とにかく、やはりあれは未来の自分だったのだろう。

数学教師は「怯むなら10秒、逃げるなら7日、後回しにするなら15日」と静かに言った。(意味はよくわからないのだが、どうも、自分が消極的な答えを言った場合に言おうとしていた内容なのだということはわかった。数字はピンとこないが、なにか意味のある気がする。)そして、教師は「それならばもうお前は大丈夫である」と静かに言い、立ち上がって教室を去ろうとした。

その時風景が歪み始め、高速で回転を始めた。それと同時に眩しくて眼を開けていられないほどの光が発生し、僕は思わず眼を保護した。一瞬ののち眼を開けると、白っぽいようなグレーのような、奥行きも幅も感じない不思議な空間に浮かんでいた。こうして文字にすると不気味だが、不思議と恐怖感は感じなかった。そしてゆるやかに目が覚めた。このような夢の終わり方は、覚えている中では初めてのことであった。

 

辺りは暗く、時折激しい雷が鳴っている。自分は雷は怖くないが、空の色に少し恐怖を感じた。黄色がかった灰色で、所どころ深い灰色をしている。その黄色の度合いに、なにか得体のしれないような、なにものかを飲み込もうとしているような雰囲気を感じたのだ。

そして、先ほどの印象的な夢について少し考えた。全体的によく分からない部分が多いが、ずっと曇っていた心が晴れていく感じがした。何者かはわからないが、会ってくれたことに、助言だろう言葉に、感謝したい。どうも印象からして完全なる味方ではない、というより中立的な立場の存在のようだが、絶対的に暖かい強いなにかを感じたのもまた事実だ。

ここにきてようやく旅行の疲れが見え始めたし、相変わらず離人はひどいし頭はぼーっとするけれど、少しずつ動いていこう。そういえば、自分で決めたタイムリミットのようなものも着実に近づいてきているのだ。

自分の言った、というより衝動的に魂が叫んだ、「答えを出す。」きっとそれが望みでありなすべきこと。それが良くても悪くても、自分にとってとるべき行動なのだ、と思う。