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あれはなんだ かたちは無く

アスペルガーとエンパスの間

最近は論文を読んで終わる日々が続いている。その息抜きに。

 

2012年くらいから、アスペルガーとエンパスは別のものだけれど、どこか共通点があるのではないかと考えていた。その後診断されてからも時折考えていたのだが、これらの2者の間ともいうべき状態があって、アスペルガーもエンパスも、ある種の共通点を持った能力というべきものを有しているのかな、という結論に至った。

アスペルガーは感情や表情が読めない。下手したら、相手に感情があることさえわからないこともある。その一方で、感覚過敏なところが多く、元から多い情報量に対処しきれていない、とも考えられている。

エンパスは空気や表情はともかく、相手の感情がダイレクトに伝わり、身体にも数々の影響を及ぼされる。そういう意味ではエンパスも同様に情報量が多い。ただし、情報というよりは、よりエネルギーのある思念に近いのではないかと思う。

さて、両者は感情に関しては全く逆である。情報の欠如または過多により、結果として似たような反応が見られることもあるが、それはもちろん結果論である。本質が似ているというわけではない。では何が似ているかというと、エネルギーに対する感度の強さや、それに対する反応が似ているように感じられる。

個人的な例を挙げると、僕は感情や表情はまったく読めないから、エンパスではない。それにも拘わらず、人と接していて何かの衝動が向こうから伝わってきたり、言葉に乗って強いエネルギーの球が投げかけられたりすることが多い。また、空気や行間が読めないにも関わらず、嘘をついているかどうか、優しい人か残酷な人か、といった類のことがほとんど瞬時に分かる。理由は知らない。こうなると超能力に近いのかもしれない、とすら思う。

それらが表面的に見える表情、ひいては感情ではなくて、内面的なエネルギーを伴うものだと仮定したとする。そのとき、アスペルガーもエンパスも、(もちろん構造や程度は異なるにしても)それらのエネルギーを感じ取る力に長けている、という点ではよく似ているし、時折結果として似たような行動をすることもあるのだと思う。ただ、本来アスペルガーとエンパスは何のかかわりもない。発生理由においても全く異なる。だから、それらの間としての性質、「内的エネルギーを感知する力」とでもいったものが考慮されるようになれば、(特に当事者における)混乱は減少するのではないだろうか。