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あれはなんだ かたちは無く

聴覚の変化 / 転換期

数か月間、あらゆる意味で余裕がなく、本腰を入れた音楽鑑賞を控えていたが、どうにも行き詰って再開。したら、聴覚が変化していることに気が付いた。

元々音量的な意味での耳は悪く、分解的な意味での耳は良い。それが、さらに分解度が向上した。画像で言うと、解像度が上がるのに近い。今まで以上に大量の情報が流れ込む上、それらがスローモーションのようにはっきり鮮やかに細部まで聞き取ることができる。その上、音の広がりも格段に広がった。これまで耳の周囲5cmくらいまで広がりを持っていたのが、耳の周囲25cmくらいまで広がった感覚がする。

それから、相対的な可聴域もフラットに近づいたらしい。これまでは母語・外国語を問わず聞き取り辛かった子音が一発で聞き取れる。それに伴い、相対的な中音域はやや弱くなった。本当にわずかな違いであるが。

このような変化は今に始まったわけではない。もともと、分野を問わず、長らく放置していると向上していることが度々あるのだ(勿論、その逆もある。大抵は大きく前進するか大きく後退するかのどちらか)。聴覚に関しては、幼少はひどい難聴だったのが、ここ数年で、難聴の域は出ないもののかなり数値が良くなった。これには医者も驚いていた。何が起こるか本当に解らないものである。

 

しばらく疲れてしまって長いこと休息していたが、今日あたりから活動のエネルギーが回ってきたような気がする。活動と休息の差が激しく、我ながら効率が悪いなとも思うが仕方がない。ただ、近年色々ひきずったり曖昧にしたりしている様々なことを今度こそ片づけて、次のステップを確実に進めないといけない、という直感はある。

これまで活動と休息を繰り返しながら段階を経てきたことを感覚的に理解してきたが、また一つ段階が変わりつつあるらしい。薄々気が付いている自分の使命を成し遂げ、また建設的な方向性を定めるためにも、今度こそ確実に行動しなければならないのだ。それは苦しくも楽しくもあるが、なんにせよ最終地点は一つなのだから。