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あれはなんだ かたちは無く

音楽、表打ちと裏打ちの感じ方・個人的な区分の雑記など

※気力の関係でいったん適当に書く。あとで加筆修正するかもしれないし、しないかもしれない。

 

最近機会があっていろんな音楽をますますどっぷり聞いていて改めて感じたこと。

 

以前も書いたと思うけど、僕は裏打ちの音楽が好きだ。詳しくいうと、ポップス・ロックなどではいわゆるブラックミュージックのリズムが好きだ。

表打ちでノる人は、いかにもリズムの頭のタイミングに勢いを持ってきて、それをずっと繰り返す。いやまあ悪いとは思わないし、それはそれでガンガン前に進む勢いを感じて良いとは思うけども、僕は好きじゃないってだけ。

一方裏打ちでノる人は、というか僕がそうなのだが、もちろん表のリズムもきっちり把握しつつ、溜めたり弾んだりする感覚にしたがって動いていると、必然的に裏でノっている。さらにこのノリだと、(表打ちノリとは違って)リズムがなめらかにかつぐるぐると循環するように絡み合って、しかも身体と音楽が一体化するような面白い感覚を味わえる。これが楽しくて僕は裏打ちでノることが多い。さらにいうと、細かければ細かいほど、粒子があわだつような面白さがあるので、16ビート以上が好みであるし、自然に拍を取っている。

 

ポップス・ロックなど、と書いたのは理由がある。僕は普段は民族音楽を聴くことのほうが多いのだけれど、その場合変拍子も、表とも裏ともとれないノリもあるからだ。僕はとにかくなぜか複雑なリズムが好きだし、これらに比べたらブラックミュージックも全然複雑とはいえない。

僕が音楽を聴く場合、(これが民族音楽を好きな理由でもあるのだが)何か人間の本質めいたもの・命の壮大さを感じられるものとしてじっくりと民族音楽系統を聴くか、ゆるくカジュアルにファッション感覚で近代音楽系統を聴くかのどちらかである。もちろんこの2つにはっきりと分けられるわけではないけど大体こんな感じだ。つまり、曲自体の境は曖昧だとしても、意識の上では精神的なもの・娯楽的なものと分けているので、そのレベルにおいてはノリがどうとかいう話ではない、ということだ。